――駆け込み乗車はおやめください。まもなくドアが閉まります――
ほら、おまえさんがノロノロしている間に発車のアナウンスが流れ始めたぞ。
席を立ったのなら、さぁ早くあのドアに向かって歩き出せ。
とっととこの電車から降り・・・ないのか?
なんだ、いったいどうゆうことだ。
彼女の手にしたカバンが、僕の予想とはまったく異なった軌跡を描いている。
問題のカバンは僕の視線を彼女の肩から頭の、さらに上へと導いていく。
荷台だ。
彼女はカバンを荷台の上に載せようとしているのだ。
このタイミングで?こいつはいったい何を考えている―――
そして荷台にカバンを置いたこの女が手にしているものは、さっきカバンの中から取り出したものは・・・
本か!文庫本だ。
この女は読むつもりなのだ。
今から席に座り直し、どっしりと構えて何駅も何駅も本を読み続けるつもりなのだ。
こんな女のことを待っている奴なんて、この街には1人もいなかったんだ。
まったく当てが外れてしまった。
見当違いもはなはだしい。
考えてみれば平日の通勤ラッシュ時のこんな朝早くにどこの主婦がいったい誰の家を訪問するというのか。
呼んだ方も呼ばれた方も迷惑この上ない話だ。
ダメだ。ターゲットを変えよう。
西宮では思ったほど人は降りなかった。
次のチャンスの芦屋まではたったの2駅だ。
しかしこの芦屋駅を逃すと座れるチャンスもほぼなくなる。
距離的にも目的の六甲道までは4駅だけとなり、たとえ芦屋を過ぎてから座れたとしても、わざわざ各駅停車に乗った意味がなくなってしまう。
なんとしても芦屋駅で席をゲットするんだ。
ここは慎重にターゲットを選ばなければ
さっき挙げた条件に当てはまらず、なおかつもうすぐ降りそうな人物は―――
僕は車両の前、後ろ、前、後ろと、あたかも車内の吊り広告を見ているかのようにして老若男女問わず車両内の人々を物色し始めた。
と、――いた。
あの男だ!今度こそ間違いない。
僕はその男の前にそっと近づいた。
――――――つづく